
実体経済に被害を及ぼす、マネー経済の目立った報道がされた。始めからわかっていたことなのに、何を言っているのかわからない。マネーゲームの中で、全員の所持金が同じづつ増えれば、それに伴ってモノの価値もあがればいい。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10の数字の関係が、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20の関係になることに似ている。しかし、実際には、全員の所持金が同じづつ増えない。また、マネーゲームに参加していない人がいて、「全員」には含まれていない。お金を使う人は、全員マネーゲームに参加しているという話ではない。マネーとモノ、価値があるのはモノである。ここをはっきりさせたい。金がいくら押し寄せてきても、モノも、人も、動かない、それが出来るかどうか。
数字に躍らされることに慣れてしまうと、動物的感覚は麻痺をする。そんなときにモラルなんて主張しても届かない。恐れるのは、暴力によって、モノを奪う人が出現することだ。その人たちは「これはビジネスだ」と言うに違いない。ビジネスと言えば、正当化されるからだ。そのとき、その人たちにとって、ルールはこれからつくるものだし、何度でも、つくりなおすことの出来るものだろう。そして、その人たちに、モラルのルールは届かない。暴力によって残されるのは、モノと暴力を振るった人だけだ。暴力を振るった人たちは、これからはモノを自分たちの誰かがつくらなければならない、めんどくせえなあと思うだろう。考えること、それにより、行動することを怠り、戦争を起こした怠慢で強欲な人間に、僕は抗おう。暴力を振るう人たちが、生き残った私に奴隷を要求するならば、私はモノのようにじっと動かず、ただ呆然としたい。考え、それにより、行動する。それは、一人で戦うことに違いない。一人で戦う人間から、きっと、よくわからない集団は生まれない。
- 2008/05/10(土) 13:53:43|
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