気が向いて入力する東京

/耳をすます/日記

エンドゲーム

人はいつかは死ぬが、あるときから、いつかは死ぬとか、どういう風に死ぬとか、何かにつけて死を引き合いに出していたと思う。
死はよりどころとして理解しやすい。でも本当に死んじゃあいけない。背景がどうであれ、生きていくことを考えていくべきだと思うし、その言葉は自分で自分に言い聞かすための言葉だと思う。
死が目的のゲームにルールなんてない。ルールのないゲームはゲームじゃない。エンドゲームなんてない。

  1. 2006/09/27(水) 23:48:14|
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青い空。からりとした少し冷たく感じる空気。

  1. 2006/09/25(月) 23:56:43|
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今日は久しぶりに緊張することがあって、くたくたに疲れた。でも、だからこその、いい一日だった。

  1. 2006/09/23(土) 22:20:10|
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□頭を使いすぎると、頭と体のバランスが崩れやすくなる。近頃、健康的な人を見かけないのは気のせいだろうか。

□昨日、TSUTAYAで「SAW」をレンタルして観た。恐い映画は近頃観ていなかったが、観始めて早々恐怖を感じ、すぐに失敗したかと思った。恐いのは苦手だ。しかし、これ、恐い以上にすごく面白かったのだった。こんなに面白かったのか。パク・チャヌクと言い、痛みを感じさせる映画の作り手に感心する。
ところで、映画を観ることでしか痛みを感じられなくなってはいないだろうか。そんなことないだろうと思うものの、じゃあ他にどんな痛いことがあったのか、すぐに思いつかなかったのだ。内面が傷つくことは多々ある。しかし、自分が当事者であっても関心がない。余裕がないのだ。そういう人、かなり多くいるんじゃないでしょうか。とは言うものの、どうこう言える自分じゃないが、そういう人が近くにいると思うとあまりいい気分ではない。アナーキーになることが周りの人に対しての刺激になり、そのことがまたアナーキーである人を成立させてくれたときはあったかもしれない。しかし、その図式を今成立させることは難しい。自分を正そうとしてくれる人は、もういない。

□きちんとしなければいけないと思うのだった。
  1. 2006/09/20(水) 11:24:41|
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とにかくよく眠る。すると穏やかな気持ちになる。しかし、許容力がつきすぎる。僕は許容力が大きいことは大好きだ。ところが、眠りすぎていたせいで、仕事をしてお金を稼ぐことをしていなかった。なにしろ眠っていたら、仕事が出来ない。そして、時間に割り込むように仕事をしていたら、簡単にあきらめることは出来るものの、許容力を失うのである。自分の無能さのなんということ!努力不足なの?

昨日気付かないうちから始まった小雨は今朝にはかなり強く振っていたはずで、ところが今はもう晴れている。ベランダには僕の水着だけが罰のように干されている。白い雲の曇りである。今日として思うに、しっかり仕事をし、それでいて寛容でなければなるまい。しかし明日はまた別のことを思うだろう。
  1. 2006/09/18(月) 14:37:46|
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することがないからといってTVをみると大変なことになるのですね。限られた情報源と自分の許容量のことを考えると自分はTVで出来ていると思います。しかし、TVって・・・・・・などと批判的なことを思い始め、そんな気分でみるよりすっぱりとみない選択をする方がいい、そうして、そうしないと自分がかわいそうだと思いました。今は電子データに触れたくない。本や、人や、ものに直に触れたい。自分の感覚を整理しなおすことにしました。といってるそばからパソコンの前に座っていました。なんておそろしい。
  1. 2006/09/16(土) 10:46:20|
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星の王子様 河野万里子訳を読み始めた。とても面白い。
  1. 2006/09/01(金) 21:16:20|
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